新入生歓迎旅行・1日目〜2日目「快速『ムーンライトながら』」

9390M 快速ムーンライトながら東京行:183(189)系H102編成

 大垣駅の跨線橋は「ムーンライトながら」に乗り換える人たちでごった返していた。食料を調達すべく改札を出入りする人の数も多い。5番線には先発の快速豊橋行が停車中。この列車が出発しないと「ながら」が入線できない。出発の15分前くらいにホームに据え付けるものと考えていたのでびっくり。これでは入線から発車まで5分程度しかない。

 ホームで待っていると、今回の旅行で僕以外でただ一人の「ながら」利用組、On君が来た。彼は僕より4時間早く、鹿児島本線南福岡以北の上り1番手、120M(普通門司港行・博多4:49発)で九州を出発し、途中神戸などで途中下車してきたらしい。そしてさらに驚いたことに、僕と中国語I、心理学で同じクラスになっている人とも出会った。(名前を知らないので仮にA君とする。)A君はOn君の友人で、鉄研には所属していない。もちろん同じ授業を取っているということはA君が言ってくれて初めて知ったことだ。どちらの授業でも最前列に座ってほとんど後ろのほうを見ず、さらに人の顔を覚えないタチであるから仕方がない。大学の同級生と九州から遥かに離れた岐阜県大垣の地で出会うなんて、まさに奇跡だ。

 22:42、先発の快速列車が発車。ホームの発車標に残る列車は、ついにムーンライトながらだけとなった。22:44に米原方から183系が入線し、ドアが開くのと同時にホームにいた人達全員が慌しく乗り込み始める。僕の席が3号車12番A席、まとめて取ったOn君の席が隣のB席、そしてA君がこれまた偶然にも同じ号車の7番だった。(偶然、近い日に買ったのかもしれない)ちなみに車番はモハ189-41。Wikipediaには、H101編成には2・3号車のMM’ユニットに簡易リクライニングシート車が混ざると書いてあったが、これは当該車両ではなかった。荷物の片付けをしているうちに、列車は大垣を22:49、定刻に発車した。

 23:10の名古屋で、3号車に残っていた空席も全部埋まった。ここいらでかなり遅くなった夕食(夜食と言ってもいいかもしれない)を食べ、明かりが煌々と照る中目を瞑った。今回の誤算がこれで、「ながら」は夜間減光を行わないようだった。183系に減光スイッチが搭載されていないのか、それとも長いこと検修していなくて使えないのか、どちらなのかは分からない。さらに冷房の吹き出し口の位置が少々体の位置と合わず、暑く感じたこともあった。結果として、眠りは途切れがちになり、豊橋と浜松でまずは2度目が覚めた。「なは・あかつき」の時は起きていようと思ったのにいつもとあまり変わらない5時間程、グースカ寝ていたのに。(ちなみに「なは・あかつき」に同乗していた母と姉はあまり眠れなかったらしい)

 1:55、静岡で3度目の目覚め。ここにははるか前に述べた相生出身の友人が今住んでいる。前ちょっとした物を送るときに教えてもらった住所から、だいたいどの辺かは把握していたのでそちらを向いて敬礼をしておく。多分ぐっすり寝ているだろうが。そして僕はここから先、眠ろうとする努力を諦めた。1つは次の停車駅である沼津で確実に起きていられるように。もう1つは、本当に眠くなったときに寝ればいいやという開き直り。所定ダイヤではここで下り「ながら」と並ぶはずだが、向かい側の乗り場にある発車標には「1:50 ムーンライトながら 大垣」の文字が出たまま。その後15分遅れという案内も出た。静岡を出発して間もない1:58頃、下り「ながら」とすれ違った。あちらもほぼ満員で、車内灯の減光はされていなかった。

 窓の外は真っ暗で特に何か見えるわけではない。車窓が明るくなる数少ない機会が、駅を通過する時だった。途中の由比・国府津・富士川など、途中駅のほぼ全てで、発着列車がないのにホームの蛍光灯と駅名標がきちんと光っていたのが驚きだった。主要駅なら駅改札口はちゃんとシャッターが降りているのだし、誰も入って来ようがないのだから完全に切ってしまっていてもいいと思う。夜行の旅客列車が2往復走っているからだろうか。九州島内はよくわからないが、博多駅は最終列車が出発したあと3時間ほどホームの明かりを落としていると聞く。

 2:23、富士で運転停車。前の方に座っていた人がドアが開くのを期待してデッキに向かったが、すぐに戻ってきた。運転停車だと、いくらホームに煌々と明かりがともっていて、すぐそばに動いている自動販売機が鎮座していても、買いには行けない。ちなみに発車標には「回送」と書かれていた。言うに事欠いて回送はないだろうと思ったが、「通過」と表示している発車標はJR西日本アーバンネットワーク内でしか見ていないので、ここのは表示できないようだ。奥の側線に、青塗りの有蓋車ワム80000形がたくさん留置されていた。2:25頃、ホームの明かりと駅名標の行灯が一斉に消えたが、数十秒ほどでまた点いた。一体なんだったんだろうか。 列車はずっと止まったまま動かない。てっきり何本か上り貨物列車を待避するのかと思いきや、上りはおろか下りの貨物列車さえも来ない。あとから思えば富士周辺の保守作業時間帯だったのかもしれない。2:43にようやく上り貨物列車が通過し、その後を追うように、2:50に「ながら」も発車した。静岡-沼津間に1時間10分もかけるなんてどういう事だと思ったら、その多くがここでの運転停車時分だったようだ。

 3:05、沼津に到着。ドアが開いたので車外に出る。他にもホームで足腰を伸ばしている人がちらほら見える。駅からそう遠くないところに、父方の祖母と伯父が住んでいる。なにぶん遠いので一度も行ったことがなく、前直接会ったのが8年前の親類の葬儀の時。父の実家がもともと福岡県の南端、大牟田市にあったので、我が家に泊まって参列した次第。家族に証拠写真として見せるために、携帯電話のカメラで駅名標を撮る。(ちなみに下の写真がそれ)

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丁度停まった3、4番ホームの上屋が昔からの木製で、大幹線の主要駅の貫禄をにじませている。在来線発着の昼間の優等列車が特急「あさぎり」しかなくなった今も、ホームの立ち食いうどん店は健在だ。奥の方には三井化学のタンクコンテナが見える。そして隣の5、6番ホームには211系と311系の併結編成が留置されていた。あの2つがつなげられることを初めて知った。自動販売機で飲み物を買っている間に上り貨物列車が3本通過。車内に戻ってまた元の席に腰を落ち着ける。3:19、発車。

 沼津の構内を抜ける前に、下り本線の上をレール探傷車が動いているのを目撃した。保線の仕事、お疲れ様でございます。3:24に三島をあっさりと通過。3:28に函南を通過してまもなく、3:29、丹那トンネルに突入。ここを抜ければ長かった静岡県もあと僅か。約5分でトンネルの外にでて、3:35、熱海に運転停車。ここでJR東日本に乗務員交代する。それからも薄明るくなってきた車窓を眺めていたが、3:54に小田原を通過したのを最後にしばらく記憶が途切れている。東海道本線未乗区間の終点、平塚をこの目で見ることが出来なくて残念だった。行程表通りならここはもうこの旅行で二度と通らない。目を覚ましてまもなく4:56に品川着。線路がこれでもかと並んでいる様子にキョロキョロしているうちに列車は減速し始め、始発前のホームに勢ぞろいする新幹線の姿を見てまもなく、5:05に終点の東京に到着した。

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